ラーメンを鹿児島の郷土料理にしたい

いつもニコニコ元気よく、山下大介です。

さつま麺業は今から55年前の昭和43年2月8日に、西鹿児島駅前・南国殖産日生ビルの飲食地下フロアに「ラーメンさつま」を、私の両親 山下剛(故人)洋子の夫婦がスタートさせました。

終戦の時、旧制一中の学生だった父山下剛(当時15歳)は8人兄弟の長男で、末弟はまだ1歳、祖父は沖縄戦で戦死、進学をあきらめて祖母と姉と必死に戦後の混乱を生き抜きました。それから20年後、兄弟を皆独り立ちさせ、山下剛(当時36歳)は、東京より脱サラ帰郷して「ラーメンさつま」を始めたのです。

当時、ラーメンといえば屋台料理どちらかというとジャンクな食べ物でしたが、最先端の南国殖産ビルで店を出すのですから、割烹でもなかなか使えない台湾ヒノキの一枚板カウンターのしっかりした内装のお店を作ったそうです。

創業の思いは一つ「ラーメンを鹿児島の郷土料理にしたい!」

その意味は、和食・洋食・中華の修行を積んだ一流の料理人さんが食べても、「このスープは素晴らしい」「料理としてレベルが高い」「マネできない」とうならせるような料理にラーメンをしたい。という鹿児島ラーメン愛でした。
郷土料理とは、郷土の皆さんが長年愛する美味しさはもちろん、ただの田舎料理ではない本物の技術や食材のレベルの高さが大切だと思います。

創業の想いは「薩摩本流ラーメン 仏跳麺」にひと味美味しいお料理と心温まるおもてなし=本物食材として、脈々と繋がっています。

出汁の王国鹿児島の皆さんが、楽しんできた深みのある鶏と豚のWスープの旨味と香り、それを引き立たせる麺の食感と具の楽しさ。
「さすが鹿児島ラーメン!」と言われるようなラーメンを作りたいと思います。